足の悪い猫を飼う人の日記

猫とは関係なく、メモ的な。

二重の糸をはずしてきた。

十一年前に埋没法で二重の幅を広げたのが、最近になってすっかり

いやになってしまい、本日、とうとう糸をはずしてもらいに形成外科に行ってきました。

 

11年前といえば50歳になる寸前、当時はとにかく二重のぱっちり

した目が好きで、自分の目ではものたりず、幅を広げていたわけですが。

もうすぐ60歳になるという最近になったら、この二重がなんとも

うっとおしい、加齢で目の周りの脂肪が落ちてきため、二重のラインが三重になってしまったり、なんとなく目が必要以上に見開いている感じですっかりいやになってしまった。

しかも、ドライアイや謎のまぶた裏の痛みなども発生、

糸をはずしたいと思いはじめたら、すぐやってもらわないとたまらず、埋没法の糸除去が得意な先生を探してやってもらいました。

 

手順としては、先生の診察→手術。

手術というと非常に怖い感じですが、麻酔の注射も楽勝で両眼20分ほどで終了、糸は4本とれました。

 

終わってから取れた糸を見せてくれるのですが、感慨深い。

こんなものがずっと目にはいっていたとは、おそれいる。

そして糸のなくなった瞼のさわやかなことよ。

幸い、腫れたりすることもなく、ちょいと内出血していますが、気になるほどでもありません。

 

糸をはずしてもまだずいぶん二重なのですが、

この先どうなるのか。幅が狭くなるのか、もっと一重っぽくなるのか?

 

それにしても、麻酔の注射がまったく痛くなくて、

担当してくださった先生の注射の上手さにびっくりです。

 

顔を洗う時など、瞼に糸があるのに触れてしまい、時々ぞぞっとしていましたが、ああいう不快感からも開放されて、満足。

 

還暦にむけて、いろいろ肉体の気になる部分をきちんとしておきたいと思っています。

キラキラ

f:id:kaorukatze:20180524124258j:image

f:id:kaorukatze:20180524124311j:image

 バブルの頃に流行した、テニスブレスレットをいきなりつけてみたくなり

アメリカのアクセサリーサイトから取り寄せてみました。

シルバー台にスワロフスキーのキラキラブレスです。

サイトで注文した時思ったよりボリュームがあった。

昔、こういうブレスレットとロレックスの重ね付けとか

流行りましたよね~。1980年代。

 

で、いまさらですが、私もロレックスと重ね付けする予定です。

キラキラするわー。恥ずかしい。

 

 

だれを友達と呼ぶか

どの程度の親しさ範囲を友達と感じるのか、

かなり個人差があるところだ。

小学校、中学校の同窓会というのがある。

もう何十年も交流のなかった人たち、いちおう同級生だったから名前くらいは

覚えていても、当時一緒に遊んだわけでも、話したこともない人たち。

それでも、何十年ぶりに会うと、すごく懐かしい、友達だよね~というような

雰囲気で接してくれる人がいる。

おそらく、そういう人たちにとっては、懐かしい小学校時代の風景の一部として

私のようなまったく交流のなかった人間も、懐かし要素にカウントしてくれて

親しいような気がしてしまい、親しく接してくれるんだと思う。

 

実をいえば、私は学校時代の思い出というのがほとんどない。

小学校~大学まで全部ひっくるめて、

とくに思い出したいような思い出もないし、会いたい旧友もいないし

いま、付き合っている友達もいない。

その時間が自分にあったことさえ、なんだか夢のようなことで

学校の建物など偶然前を通りかかっても、ピンとこないというか

ほんとに自分の人生に学校生活があったのか?と思うくらいだ。

 

先日、小学校時代の同級生(何十年も会っていない)からフェイスブック伝いで

メッセージが来た。その人が、私の高校生当時の同級生と偶然知り合いになり

私がなぜか共通の知人として名前が出た、という内容だった。

 

自分の知らないところで名前がでる、というのは

私にとってはなはだありがたくないことなんだが、

そのメッセージをくれた人は、友達の輪!みたいなノリだったので

彼女はつくづく性格の良い人だと思った。

そういう人にとって、この世は広く生きやすいだろう、

なんとも羨ましいことである。

私のような性格の人間にとって

生きるということは、過去になにも残らず、広がりもなく

ただ自分と向き合う日々、まあ、面白くない感じだ。

でも、自分が広く交際をひろげていくような生き方ができるかといえば

考えただけでもうんざりするので

自分には今の状態がいいし、それなりに幸せだと感じていて

まあ、

人間向き不向き、何が幸せかそれぞれ違うんだと思うわけだ。

 

アニメの主人公で、友達がいないとか、引きこもりだとか自称する奴らが

いるが、

ぜったいかわいい幼馴染やおせっかいな同級生がいたり、

超自然界から出現した生き物と絆ができちゃったり、

まったく一人の人なんていない。

ボッチってそんなもんじゃないよ。

マトリックス 映画

毎週、うちに来てくれるマッサージの先生のお勧め映画、「マトリックス」を

今頃になってみた。

アクションシーンはあまり面白くなかったけど、

現実世界とマトリックスの世界、どちらをリアルと思って生きるのが幸せ

なのか、と考えて面白く思った。

登場人物中の裏切り者が、現実に目覚めてうんざりで、カプセルにもどり

マトリックス世界で生きたい、現実の記憶は全部消してほしい、とエージェントに

頼むシーンが好きだ。

先日読んだ、グルジェフの話、

魔術師が羊に催眠術をかけて自分は人間だとか、なんだとかと思い込ませたら

羊飼いも柵もなくても羊たちはおとなしく暮らすようになった、という話を

思い出させた。

マトリックス世界ではなくとも、

現実に目覚めるというのはなかなかきついものである。

目覚めて、もっと人間として向上したい、と思う人間もいるだろうし、

(映画の中でいうと、戦ってる人たちみたいな)

現実に目覚めて、うんざりして、そこで止まるどころか落ちていく人間もいるだろう。

どっちが別に偉いとは思わない。

何を幸せと感じるのかは、人によって違うんだからしょうがない。

 

とりあえず、マトリックスの最初のだけ見たわけだが

ここまでだけだと何も話がすすんでいない。

続きのも観ようかな、と迷い中。

なんだか先に進むにつれて面白くなくなりそうだから。

 

マトリックスの物語、全体としてイエスキリストの物語を思い出させた。

悪趣味な趣味

我ながら悪趣味だとは思うが、

連続殺人、大量虐殺、殉教死などなど、いやな死に方について詳細にかいた

記事や画像を見るのが趣味だ。

好きというより、嫌すぎて見る。

世の中にこんないやなことがあるのだ、

こんな危険な人物が、普通の人間の間にまぎれて生きているんだ、

と恐ろしい気持ちになり、

殺されていった人々はどんなにつらい時間ののちに

命を落としたのか、と想像してまたいやな気持になる。

 

最終的には

人生の最後まで、残忍な人々に遭遇したくないと心から思い、

死ぬにしても普通に死にたい、と願う。

というか

本当は死にたくない、と思う。

無理とはわかっているが、

今この世にいる人間はみんな死ぬし、これまでたくさんの人が死んできたし

どうしようもないのはわかっているけど。

死ぬのが嫌すぎて、悪趣味な記事を熟読してしまうのかもしれない。

 

もう数年で60歳になると思うと、信じられないようなせつないような気持ちだ。

時間がずいぶん過ぎてしまった、

残りはどのくらいあるんだろう?

猫とあとどのくらいいられるんだろう?

息子は私が死んだら一人ぼっちになってしまうのか?

なんて考えると悲しくて、昨夜はぜんぜん眠れなかった。

 

どうしようもないことがこの身にもふりかかる。

努力とかなんとかがんばってもしょうがない、

いつか死ぬという運命。

どこかにいつも死があって生きている。

 

痩せようとして太る件

いつも読んでいるブログの筆者が、ダイエットを決心したようである。

最近、ダイエット本を読んだネタが続いていて、

たいへんだな、と思う。

 

私の経験からいくと、あまりダイエットのことを考えるとかえって太る。

これは何カロリー、これは太る食べ物、と考えると、短期的には節制できるが

結局食物を選別するのがストレスになってしまい、ある日突然過食してしまったりする。なにか食べるたびにいちいち内容を検討するわけだから頭が疲れるんだろう。

 

猫など見ていると、たくさん餌を出しておいても満腹すると必要以上食べない。

足の悪い猫は甘えっこで、私の手から毎日特別なおやつを食べさせるのだが

かなりおいしいはずのおやつでも満足するとあと一粒というところで、食べるのを

やめる。

こういうライフスタイルを身に着けられれば、太らないはずである。

ようするに、

もう満腹している、これ以上は食べられない、というところで確実に食べるのを

ストップする食習慣。

おいしいからといって食べ過ぎない、

珍しいからといって必要もない時間に食べない。

などなど。

自分の体に忠実になって

これ以上食べると胃袋が満杯である、というラインを意識できれば。

むしろ満腹いっぽ手前くらいのラインでやめる癖をつければ。

うまく癖にしてしまえば、

そんなに太らないと思うんだけど。

猫を最高にかわいいと思う時

かなりしつこく抱きしめているのに、

ぐっすり眠っている猫をみていると

心からかわいい、この子を大事にしよう、と思います。

人間と猫、

動物として種族が違うのに

こんなにぐっすり眠ってしまって、

顔もぴたーっとくっつけてきたりして

そんなに油断して大丈夫なのか??

もし私が突然悪い人になって暴力するとか思わないのね、とか

ほんと心から可愛い。

ぜったいぜったいにこの子をがっかりさせたり

つらい思いなんかさせられないと思う。

猫との昼寝タイム。